病院「臭さ」が捨てられないものか?(後編)

前回からの続きです。

自分が高齢になったときには、やはり生活の場で過ごしたい。
畳の上で寝て、起きて、顔を洗い、着替えをして、食事を行う、
トイレで排便をし、太陽を拝み、季節の風を感じて、毎日風呂に入り、そして寝る。
この当たり前のサイクルが送れなければ生活の場ではないのである。
日本は過剰介護だと言われる。
本来の介護とは、自分できることをできる限りやってもらい、不足している部分のみを補助することである。
過剰な介護は人間の機能を奪い堕落させてしまう。
その結果が、独特の「病院臭」となって現れてくるのではなかろうか?
最近、より良い療養環境をということで、広い廊下、広い個室が国から求められている。
しかし、3m近い幅の廊下は、足腰が不自由な人々にとっては渡るだけで大変である。
広い個室は、立ち上がってから、(手すり代わりの)壁に手が届くまでに時間がかかる。
広い浴室では、浴槽に辿り着くまでに体が冷える。足もすべる。
広いことが帰って危険を招いているとも言えるのである。
大切なのは広さではない。目的地までの「障害物」をいかに取り除くかである。
廊下に車椅子やワゴンなど、様々なものを置いて邪魔していないだろうか?
そして「きれいな物」と「汚い物」が混在していないであろうか?
まずは周囲を見渡してみよう。
病院臭が漂う場所で、真の療養環境は生まれない。

尾崎総合企画
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