この文章を読んでどのように考えるか?

非常に面白い文章を読んだのでご紹介する。
ビル・トーマス氏の著書:Life Worth Living P17〜18の要約である。
転載させていただくことをご了承願いたい。

〜親切な砂漠のカインド氏の話〜

昔、ある旅人が砂漠を横断中、激しい砂嵐に見舞われた。
水も食料も失った旅人は、灼熱の太陽の下、何日間もさまよい、ようやく近くに住むカインド氏に助けられた。
カインド氏は彼を家に連れ帰って十分な水を与え、旅人は大層感謝して心行くまで水を飲んだ。
カインド氏:「さあ、もっと水を飲みなさい」
旅人:「はい。でも水は十分です。今はお腹が減っているのです。何か食べ物を下さい」
カインド氏:「なぜ食べ物のことなど考えるのですか?あなたは太陽の熱さで頭がおかしくなったのでは?あなたに必要なのは水です。だからもっと飲みなさい」
カインド氏が旅人に柄杓を差し出したとき、旅人はその場を立ち去ろうとした。
柄杓の水は地面に零れ落ちる。
カインド氏は旅人が狂っていると確信し、彼を抱きかかえて泉に入り、旅人の頭を何度も水に浸した。
カインド氏は心から喜び、満足した。
長い時間頭を水に浸すと、ついに旅人は力尽き、息を引き取った。
心優しいカインド氏の頬を涙が伝う。
彼はこう呟いた。
「もう少し水さえ飲んでいれば、生き延びられたかもしれないのに!!」
オアシス近くには、これまでに埋葬された多くの遺体が葬られている。
カインド氏は「水だ、水だ、彼らは水が必要なのだ」とつぶやくと、ラクダに乗り、また砂漠へと遭難者を探しに向かった。

これを読んでどのように考えるだろうか?
カインド氏に不快感を覚えたり、カインド氏が狂っているんだと思われた方はいるだろうか?
医療職の方は、旅人=患者、カインド氏=医療従事者、と読み替えてほしい。
介護職の方は、旅人=高齢者、カインド氏=介護者、と読み替えてほしい。
往々にして、ケアする者とされる者の違いは本人の気づかないところに存在するという逸話だそうである。
もう一度、話を読み返してみよう。何か、心にひっかかるものはないだろうか?
あるとすればそれは・・・。

※ビル・トーマス氏とその活動についてはこちら。
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