在宅誘導と介護(中編)

前回からの続きです。

グループホームとは、本来、比較的安定状態にある認知症の高齢者が、家庭的な環境のもと、食事の支度、掃除および洗濯等を介護スタッフと共に行い、共同生活を営む施設である。
各施設を見ていると、実際に共同で食事の支度や掃除、洗濯などができる、ADLが自立している方が少なくなってきている。
気がつけば、利用者の層が、介護保険設立時と全く変わってきているのだ。
グループホームを「在宅」と名づけるのであれば、グループホームで死を看取られることは、「在宅ケア」なのかもしれない。
しかし、そこには家族の存在はないし、何よりも利用されている高齢者の本意ではないのではないかと思う。
「在宅」には、家族の存在が必須であるべきである。
真の「在宅」を目指すのであれば、家族側の問題を整理しなければならない。
医療技術が高まり、平均寿命が長くなってきて、家族が介護に要する期間は、想像をはるかに超えるようになった。
介護を経験された方はお分かりだろうが、介護というのは生半可なことではない。
施設等で業務として行うのであれば、気持ちの切り替えができるだろうが、自宅で家族のお世話として行う場合には、気持ちの切り替えが難しい。
食事を作って、食事介助をして、洗濯をして、体位変換して、オムツをその都度交換して、清拭をして(お風呂に入れて)と、24時間介護は続く。
施設であれば、勤務時間帯が終了すれば、次の担当者に介護は引き継がれるが、家族介護は24時間365日である。
一度、「苦痛」と感じ始めれば、介護は苦痛以外の何者でもなくなってしまう。
自宅にて家族の介護を行うとなると、介護者は1日の多くの時間を介護に費やすこととなる。
夫婦共働きで家計が回っている場合など、介護のために片方の収入がなくなれば、それは家計が回らなくなることを意味する。
この収入減のために、家族介護を断る例は少なくない。この点は非常に大きなポイントである。
 
字数の関係で次回へ続く。
 
尾崎総合企画
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