延命措置中止・安楽死・尊厳死(前編)

延命措置中止問題が議論にあがっている。
これを受けて、「日本尊厳死協会」(本部・東京)には、尊厳死に関する問い合わせが殺到しているとのこと。
マスコミが騒ぐと世間も騒ぐものなのだが、この「延命」という問題は一過性では済みそうにもない。
超高齢化時代となり、多くの家族が抱えている、また、これから抱えていく問題であるからだ。
この問題を考えていく上で、「安楽死」「尊厳死」ということについて考えなくてはならない。
安楽死」は大きく、「積極的安楽死」と「消極的安楽死」に分けられる。
「積極的安楽死」は、第3者が積極的に治療を中止するという考え方である。
例えば、今回のケースのように人工呼吸器を外すのは積極的安楽死となる。
他にも、カリウム製剤を注射する、戦時中のように空気を注射するなども、積極的安楽死に入る。
現在のところ、積極的安楽死殺人罪となる。
「消極的安楽死」は、延命のための治療をしないという考え方である。
例えば、いったん人工呼吸器をつけてしまえば、外すと積極的安楽死殺人罪)になるが、人工呼吸器をつけないという判断を下すのが消極的安楽死である。
他にも、心肺蘇生措置を行わない、血圧が下がっても昇圧剤を打たない、栄養を少しずつ減らしていく、というのも消極的安楽死に入ると思われる。
昔は自宅で死を迎える人が多かったため、消極的安楽死は一般的なもの、すなわち自然死であったといってもよい。
しかし、病院で死を迎える人が大半となった現在では、この自然死を迎えるのが難しいのである。
意識もなく、栄養や薬剤のカテーテルがつながり、人工呼吸器をつけられて生きるのが、果たして「生きる」といえるのか?
非常に難しい問題である。
 
字数の関係で次回へ続く。
 
尾崎総合企画
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