延命措置中止・安楽死・尊厳死(後編)

前回からの続きです。
 
事故や心筋梗塞脳卒中など、急激に命の危機が訪れたとき、家族は「なにがなんでも生かしてください」という。
しかし、回復が難しい場合、時間が経つと面会回数も減ってくる。
それでは、何のために「生かす」のか?何のために「生きて」いてもらうのか?
「生きて」さえいれば家族は幸せなのか?
「生きて」いることは、本人にとって幸せなことなのか?

先日、テレビを見ていて、この尊厳死問題について面白いコメントがあった。

延命措置の中止が実施されるには、本人の同意が必要であるが、意識がないのに同意を得ることは不可能である。
それならば、原則として延命措置は行わないということにして、生前に「延命措置を希望する」という意思を表示しておけばよいのではないのか?

非常にシンプルで実効性のある考え方である。
ものの見方の角度を、少し変えるだけで、実効性のある案が出てくる。
臓器移植にしてもそうであろう。
原則として、脳死の場合は臓器移植に協力する。協力したくない場合はカードを携帯しておくこと。
とすると、脳死に関して、国民全員の意思が明確になるであろう。

尊厳死の問題については、法制化が強く望まれている。
「死」の決定権というタブーへの挑戦であるが、超高齢化時代には避けて通れない問題である。
明確で、実効性のある法案を作成してほしい。
 
尾崎総合企画
http://www.medisoft.jpn.ch